神宮なんでもQ&A

Q 1.参宮する人の数は、どのくらいですか? 図
 平成7年は、内宮と外宮あわせて年間619万人以上
 の人々が参宮されました。その3分の1以上が1月に
 集中しています。江戸時代には、日本の人口の6分
 の1にあたる500万人が短い期間に「おかげ参り」
 をしたと言います。


Q 2.神宮で働く人は、どのくらいいるのですか? 図
 約120名の神職の他、楽師(がくし)や技師、森林
 を管理する人々、お供えの神饌(しんせん)や御料
 品(ごりょうひん)、お札やお守りを作る人々、博
 物館の職員、神職養成の学校や幼稚園の先生など、
 総勢600名以上が神宮に奉仕しています。


Q 3.神様のお食事は、一日2回だけ? 図
 外宮ではご鎮座以来1500年余りのどの日も、朝夕
 2度、神々のお食事を調えてきました。古代の人は
 基本的に一日 2食だったという習慣が続いているの
 です。毎朝8時と毎夕4時(冬は9時と3時)、天照
 大御神、豊受大神宮をはじめとする神々に6つの膳
 を出すのに、一回20分少々かかります。


Q 4.お食事を調えるために火が必要ですが、木と木を摩擦して火を起こすのはどのくらい時間がかかりますか?
 前の晩からおこもりをする神職は、朝5時(冬は6時)
 に湯あみしてから調理の準備に入ります。まずは忌
 火(いみび)と呼ばれる清浄なる火をおこしますが、
 熟練していれば、数分で起こすことができます。神
 宮の火きり器は、登呂遺跡から出た弥生時代のもの
 と同じ形式のものです。


Q 5.毎日のお食事の献立はどんなもの?
 基本になるのは、ご飯三盛に。それに鰹節、
 (夏場は干物やスルメ)、昆布などの海草、季節
 の野菜と果物、そして清酒のお神酒が三盛といった
 献立。どれも神宮で自給された新鮮なものです。お
 食事をのせる土器も古来と同じ方法で作られ、一度
 使用した後は、土中に埋められ土に還ります。


Q 6.神宮内では、何種類の野菜を育てているのですか? 図
 御園では、80品の作物を栽培しています。四つ足の
 動物のものは肥料として使わず、清浄な野菜や果物
 を育てています。電子イオン水の装置もあります。




Q 7.式年遷宮はなぜ、20年ごとに行われるのでしょう? 図
 唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という建築
 様式をはじめとする古来の技術を次の世代に伝える
 意味でも、信仰を受け継いでいくという点でも20年
 が適していると考えられています。また、稲の最長
 貯蔵年限がちょうど20年くらいだからとする説もあ
 ります。いずれにしても、それぞれの時代に生きる
 人々の人生の節目の20年ごとに、式年遷宮はやって
 きます。


Q 8.神宮林は、どれくらいの広さ? 図
 神宮の敷地は伊勢市の約3分の1を占め、5,500ヘク
 タールの広さがあります。 東京都世田谷区の全体の
 面積、甲子園球場の1,300倍にあたります。






Q 9.遷宮で使われるヒノキの木材は、どこの森のもの? 図
 かつてはこの神宮林からヒノキのご用材を得ていま
 したが、近くに良材がなくなったため現在では木曽
 のヒノキ材を使っています。室町の動乱期に神宮林
 を伐ったまま植林しなかったことが、今に影響して
 いるとも言えます。再び神宮林からご用材を得るこ
 とができるように、200年後に使う木材を大正時代
 から植えています。



Q 10.一回の遷宮で、木材はどのくらい必要ですか?
 約1万立方メートル、本数にして1万本ほど。最大で
 直径1メートル40センチ、  樹齢500年以上の巨木を
 用います。遷宮の8年前から、良質なヒノキの原木が
 木曽の山から貯蔵池に運ばれ、乾燥・製材されます。


Q 11.一度使った木材は、再利用するのですか?
 御正殿(ごしょうでん)の棟持柱(むなもちばしら)
 は直径79センチ、これは御正殿で20年を経てから、
 宇治橋の大鳥居になります。ちなみに御正殿で使わ
 れたヒノキ材は、鳥居としてさらに20年経た後、全
 国の神社のお社などとして生まれ変わります。


Q 12.今では珍しくなった「かや葺き屋根」の萱(かや)はどうやって集めるのですか? 図
 屋根に葺(ふ)く萱は、
 1回の遷宮で2万3千束も
 使います。230ヘクタールある専属の山で10年が
 かりで集めます。





Q 13.式年遷宮の際には、御装束(おしょうぞく)や神宝(しんぽう)も新しく作られるそうですが、古いものはどうするのですか?
 遷宮のたびに、新しく調進される御装束、神宝は、
 800種類、約2,500点にもおよびます。 明治以前
 までは、神様が一度使ったものが人の手に渡るの
 は畏れ多いということで、すべて燃やし、土中に
 埋めていました。現在では、神宮の博物館である
 神宮徴古館にすべて保存されます。


Q 14.お参りの仕方は? 図
 一般的な参拝の方法は、二度頭を下げてパンパンと
 柏手(かしわで)を二つ打つ、さらにゆっくり頭を
 一度下げてお祈りをする。伊勢の人は、しゃがんで
 頭を下げながらパンパンと四拍手することもありま
 す。




Q 15.1年間にどれくらいお祭りをするのですか?
 数え方にもよりますが、一年に数千回、またはそれ
 以上とも言えます。どのお祭りも古儀を重んじてお
 ごそかに奉仕されています。神宮のお祭りは、夏祭
 りなど一般的な意味でのお祭りとは大きくちがって
 儀式のようなもの。奉仕する神職以外は参加するこ
 とはできません。


Q 16.神鶏(しんけい)は、木の上で眠ると言いますが。 図
 は神のお使いとされ、遷宮で神様が新殿に移ると
 きにも「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」という行
 事があります。「カケコー、カケコー、カケコー」
 という声につづいて勅使が「出御(しゅつぎょ)」
 の声をかけると、神様が遷られます。重要な役割を
 持っている鶏ですが、キツネやタヌキに命をねらわ
 れるので、高い木の上で眠る習慣がついてしまいま
 した。


Q 17.宇治橋も20年目ごとに造り直したり、大修繕をするそうですね。 図  
 内宮の入り口にもあたる宇治橋は、1年間に400万人
 以上の参拝者が往復します。20年たつと実に1億人近
 い人々が渡ることになります。厚さ15センチのヒノキ
 材の橋板が、4〜6センチも減ってしまいます。ちなみ
 にこの橋の全長は102メートルもあります。




Q 18.西行や芭蕉は、五十鈴川の対岸までしか進むことができなかったのは、どうして?
 明治維新までは僧侶や頭を丸めた人は、神前に近づ
 くことを許されませんでした。そこで設けられたの
 が、五十鈴川の対岸から拝む「僧尼拝所」。そう思
 えば、西行法師の「なにごとのおはしますかは知ら
 ねどもかたじけなさに涙こぼるる」の歌は空間を隔
 てた感銘なのかもしれません。


Q 19.江戸時代のお伊勢参りの呼び方にある「おかげ参り」とは、「おかげさまで元気です」と言うときの「おかげ」。では「抜け参り」とはどのようなことを表すのでしょう。 図  
 奉公人などがある日突然、連れを誘って家を飛び出し、
 伊勢参宮に出かけることを言います。雇い主や親兄弟
 に黙って、ほとんど着の身着のままの旅立ちでした。
 幾度か全国的なブームになるほど大勢の人たちが、
 「抜け参り」をしました。



Q 20.昔の人は、一生に一度の「おかげ参り」に何日かけて旅したのですか? 図  
 交通の便がない時代には、江戸から片道15日、京都・
 大阪からでも5日はかかったそうです。今では東京から
 伊勢まで数時間ですが、忙しすぎる、急ぎすぎる現代人
 は、そそくさと参拝をすませてしまうことも多いとか。
 せめて参道を歩くときくらいはゆっくりと森林浴のつも
 りで歩いてみることをおすすめします。



Q 21.日本にはもう1羽しか残っていないトキの羽を、神宝の太刀(たち)の柄(え)に使うと言いますが、その羽はどうやって手に入れるのですか。
須賀利御太刀(すがりのおんたち)の「須賀利」とは「姿が美しい」という意味です。その名のとおり、姿がたいへん美しいトキの羽を柄に使っています。前回の式年遷宮(平成5年)では、幸い、石川県能登でトキの生態研究と保護対策の仕事をされてきた方が、抜けた羽を大切に集めて保存されていて、神宮に持参してくださったので、それを使うことができました。


Q 22.神宝の太刀には、色とりどりの飾りがたくさん付いていて、まさに宝物という感じがしますね。
式年遷宮には、1,500点におよぶ神宝が古式のままに調進されます。そのうちでも、華麗なことではひときわ目立つのが玉纏御太刀(たままきのおんたち)です。琥珀(こはく)、瑪瑙(めのう)、水晶(すいしょう)、瑠璃(るり)の5色の吹玉(ふきだま)がおよそ450個もちりばめられた、純然たる飾り太刀です。


Q 23.神宝の中には、神様の布団も用意されるそうですね。
さまざまな紋様をデザインした布団が、全部で150も奉納されます。布団があるからには当然、枕もあります。この枕のルーツを探ると、中国の唐の時代の高級陶枕にたどりつきます。図柄も大きさもほぼ同じものですが、色と材質は日本的に変えられています。


Q 24.神主さんの服装は平安時代のものですが、足袋(たび)にあたる履き物なども、当時の物を用いているのでしょうか。
神主さんたちは、紙で作られた浅沓(あさぐつ)という靴を履きます。その下に履くのは、足袋ではなく「襪(しとうず)」という履き物です。これは、足袋に似ていますが、親指と母指を分ける指股がありません。戦国時代になると、走りやすい草履(ぞうり)や草鞋(わらじ)が、浅沓に取って変わりました。と同時に、指股のない襪(しとうず)では、草履の鼻緒に通らないので足袋が登場したというわけです。


Q 25.「忌(いみ)」という字は、現在では不吉なことに用いますが、神宮ではなぜ、この字がいろいろなところに使われているのでしょうか。
「忌」の字はもともと「誠をもって神に仕える」という意味がありました。神様の使われる物や神聖な場所はタブーであり、触れてはならないものとして避けられてきました。長い年月を経て、一般には遠慮する感情が入ってしまい、不吉なものという意味に変わったのでしょう。神宮では本来の意味を残して、身を清めけがれを避けることを表して、「忌」の字を使っています。


Q 26.宇治橋は、昔から現在のように立派なものだったのですか。
神宮への入り口として輝かしい役割を担っている宇治橋にも、不遇の時代がありました。戦国時代には式年遷宮が中断し、宇治橋も流されたままだったのです。とある尼僧が「お伊勢さまが荒廃しております。宇治橋も流れたままでお参りするのが困難です。こんなことでは大神さまに申しわけありません」と諸国を巡って募金をし、宇治橋を造営したと言います。多くの人々がこれに感銘を受け、秀吉の天下統一の暁には、ついに橋奉行が定められたそうです。


Q 27.式年遷宮で使うご用材を運ぶ行事を、「御木曳行事」と言いますが、この行事で運ばれたご用材は、貯水池に浸けられるそうですね。
木材はよく乾燥したものでないと狂いや割れを生じやすい。そこで、水に浸けるのですが、その原理は素人にはわかりにくいですね。伐りだした木を水につけると、樹液が水と入れ替わり外に出る。樹液よりも水の方が乾燥が早いから用材になったときに、収縮率が低くヒビ割れを防止する効果がある、というわけです。


Q 28.神宝を制作する職人さんは、たいへんそうですね。
たくさんの職人さんが心をこめ、それぞれの技に磨きをかけて、神宝を制作しています。その苦労はたいへんなもので、例えば、太刀に付いている組紐(くみひも)の職人さんの仕事などは、細かな始業を経て1日にようやく1センチ、1本を完成させるのに1年以上かかると言います。この職人さんは、「手に脂気が少なく汗をかかない体質であることが、他の人にはない天分である」と言われて、この技法を人間国宝である先代から教わったそうです。


Q 29.伊勢には、御塩を運ぶための特別の道があるそうですね。
それは「御塩道」と言います。御塩浜で奉製した御塩を辛櫃(からひつ)に納め、昔は8キロの道を外宮まで歩いて運びました。昔といっても昭和22年4月まで続けられていたので、神宮の2000年の歴史の中ではつい最近のことです。この御塩道も第二次大戦後の道路拡張で道筋や町並みがすっかり変わってしまったので、今では名残をとどめるのはほんの一部となりました。田んぼのあぜ道のような細い道で、しかも葬列などが通らない不浄の道が選ばれたため、だいぶ大まわりになります。


Q 30.20年間にたくさんの人が渡る宇治橋は、頑丈でなければならない。造営には船大工が参加すると言いますが。
式年遷宮に先駆けて、宇治橋も20年に1度、新しく造営されます。前回の造営では宮大工と船大工ののべ約9,000人が従事しました。橋の工事に船大工とは、妙なことですが、この橋の主要部は和船の技術が用いられているのです。欄干部分は宮大工、橋板部分などは船大工が担当しました。橋板は、板を普通に継ぐだけでは、継ぎ目から雨水が浸透して傷みが早い。そこで和船に用いるすり合わせという技法を使います。合わせ目の両面に鋸でギザギザをつけ、これを叩いて密着させる膨張してピッタリとつき、雨水を防ぐことができるというわけです。日本古来の和船の技法が、こんなところに生きているのです。


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