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イギリス人宣教師によって拓かれた街。
江戸時代の軽井沢一帯は、中山道の宿場町として軽井沢、沓掛(くつかけ)、追分の浅間三宿が形成されていました。寒冷地帯であるため農作物には恵まれず、旅人が落とす路銀が唯一の収入源でした。しかし、明治時代に入ると街道を往来する旅人は激減、貧しい寒村へと衰退の一途をたどります。さらに1884年(明治17年)、碓氷(うすい)新道の開通により、宿場への人の流れは完全に絶たれてしまいました。
寂れたこの地が再び息を吹き返すきっかけとなったのは、イギリス人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーの来訪です。豊かな自然と清涼な空気に包まれた軽井沢に、祖国スコットランドの風景を見たショー氏は、1888年(明治21年)、旧軽井沢の大塚山(だいづかやま)に小さな別荘を建て、友人の宣教師や日本の知識人たちにも絶好の保養地であると紹介します。次第に外国人、財界人、文人、芸術家たちの別荘が増え、いくつかの教会も建ちました。
1893年(明治26年)、碓氷新鉄道の開通で町はさらに発展、西洋文化の香り漂う高級別荘地へと生まれ変わりました。

