歴史

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将軍の御鷹場として発展、江戸市中に水を供給

三鷹市周辺には井の頭池遺跡群をはじめ、野川・仙川の流れに沿って数多くの遺跡があり、太古の時代から湧水(ゆうすい)に恵まれた土地に人々が暮らしていました。大沢の里自然観察路には、斜面の横を掘って遺体を埋葬した7世紀の横穴墓(おうけつぼ)があり、全国でも珍しい公開施設となっています。江戸時代、このあたりは、幕府や尾張徳川家の鷹狩りが行われる御鷹場でした。徳川家康は井の頭池から流れ出す神田川を改修して江戸城内の飲料水を供給するよう命じ、後に神田上水の恩恵を受けるようになった江戸市民の間で、井の頭弁財天信仰が盛んになります。また、1658年(万治元年)の江戸の大火事の際には、神田連雀町(れんじゃくちょう)の町民が防災のために住宅の再建を許されず、この地に移住した記録があり、これが現在の三鷹市下連雀のはじまりです。また、龍源寺には、遺族や門弟によってひそかに遺体が運ばれたという、新撰組の近藤勇の墓があります。 1889年(明治22年)に、神奈川県北多摩郡三鷹村が誕生。村の名は、野方領・世田谷領・府中領の3領にまたがる、かつての鷹場の村々が集まったことに由来するといいます。
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