歴史

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小布施の栗栽培

小布施栗の起源は室町時代、雁田山(かりだやま)の城主としてこの地にやって来た武将・荻野常倫(おぎの・じょうりん)が、旧領であった丹波(京都)の栗の苗木を取り寄せて植林したのが始まりといわれています。栗の栽培地は、その大部分が町の南を流れる松川の扇状地。松川は硫化鉄を大量に含んだ魚もすめない酸川で、たびたび氾濫(はんらん)する暴れ川でもありました。常倫は、米や麦などの農作物にとっては有害となる土壌も、栗の生育には好都合であることに着目したのです。やがて一大産地へと成長した栗林は、江戸時代には幕府の直轄領となり、厳選された「献上栗」が将軍家に上納されるようになりました。また、文化年間(1804年〜17年)、塩屋・桜井幾右衛門(いくえもん)が栗らくがんの製造を開始したのを皮切りに、栗菓子も盛んに作られるようになります。菜種油や綿布の生産で財をなした豪農、豪商たちが、葛飾北斎や小林一茶などの文化人を招き、栗菓子でもてなしたことも需要を増やすきっかけとなりました。以来、小布施の強力な地場産業として定着、今日に至っています。
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