限りなき可能性、信楽焼
類まれなる優れた陶土は、焼成(しょうせい)によって得られる温かみのある「火色」(緋色)の発色と、自然釉による「ビードロ釉」と「焦げ」の景色の味わいは、土と炎が織りなす芸術として、よりやきものを引き立たせ、その素朴さ、渋さは「わびさび」の妙味を現出し、枯淡に生きる日本人の風情を表わしたやきものとして古くから脚光を浴びました。室町、桃山時代の茶道の興隆(こうりゅう)とともに茶人に愛用され、特に信楽焼茶陶は茶道の奥の院の道具として珍重されました。
江戸時代に入り、登り窯が使われるようになってから、やきものは庶民生活の日常必需品として巾広く使用されるようになり、特に茶壺を主にして、水壺、味噌壺、紅鉢、団子鉢、擂鉢(すりばち)、徳利(とっくり)、焼酎瓶、土瓶、皿類など多品種にわたり大量 に生産されました。
明治時代には神仏具、灯具、酒器、茶器などの小物陶器も大量に焼かれ、壺類、糸取鍋、火鉢などの大物も大量に生産されました。また大正時代には硫酸壺やインク瓶など耐酸耐水陶器が焼かれました。特に明治35年設立、翌年から本格的操業が始まった「模範工場」での技術指導のため、九谷や清水の技術者を場長に召へいした効果もあって、飛躍的に信楽焼の技術技法が向上しました。
江戸時代に始まった火鉢の生産は年々増産の一途をたどり、明治、大正、昭和の主力製品としてあらゆる寸法、形状、装飾のものが大量に焼かれ、昭和30年代まで続きました。電気、石油暖房器具の発達で、火鉢の需要は終末を迎えましたが、昭和40年頃からは植木鉢の生産が主力となり、あらゆる種類の植木鉢や盆栽鉢がつくられました。
昭和56年頃からは、建築陶器が伸び、現在に至っていますが、庭園陶器、食卓用品、花器類などあらゆるやきものが年々開拓され、そのバラエティに富んだ信楽焼は、日本を代表する陶器産地として、大きくクローズアップされています。
